全国邪馬台国連絡協議会 全国大会 地区大会 その他大会等


			
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 2014年10月5日 第1回全国大会 日  時 : 平成26年10月5日(日)10:00~16:30 場  所 : 明治大学リバティーホール1階(参加者約400名)  台風18号が接近して豪雨の中、朝10時から400人を超える熱心な古代史 ファンが来場いたしました。厚く御礼申し上げます。

開会の辞  大会実行委員長 内野勝弘

「当団体は、 ①学会、アマチュアが協力して邪馬台国と古代史を科学的に研究、解明する ②全国の古代史団体、愛好家との交流、親睦を高めていく ③地域と連携し大会を通じて地域おこし、古代史ファンを増やしていく  をテーマに、本年4月19日に21人の学会専門家の特別顧問の先生のご指導  の下で全国15団体および個人正会員170名が集結し、古代史初めての全国組織              として発足しました。 邪馬台国の解明には考古学、文献学の研究成果の上に最新の科学的分析による理化学 的解明が進むことを多くの古代史愛好家が待ち望んでいます。今回の講演がその突破 口になるべく期待しております」と開会の挨拶をした。 実行委員

来賓挨拶  文化庁主任文化財調査官 禰宜田佳男先生

    「200年後、300年後の考古学者、古代史学者また学会としても、この協議会は             学史的に重要な意味を持つ歴史に残る組織となろう」との過分なお言葉を頂きました。 禰宜田先生

【第1部】 考古学・文献史学から見た邪馬台国

「考古学」から見た邪馬台国  講師 大塚初重 明治大学名誉教授・元日本考古学協会会長           「近年の大規模な全国的遺跡調査の実施で膨大な考古資料が蓄積され、新事実が次々に もたらされたことにより、瀬戸内東部から近畿地方、四国、山陰、北陸、東海や関東、 長野など東国も含めた諸事実の解明が進んだ。 特に、弥生時代中期後半から倭国と対 中国、三韓との交流は九州北部(松蘆国・伊都国・奴国)などの地域が対外交流の窓口で あったことは間違いないが、それ以外にも多彩な窓口があった。  そのうえで九州と畿内という従来のとらえ方から西国も東国をも含めた広い倭国内の 2~3世紀の歴史的な状況から改めて邪馬台国の状況が理解できる」と東国の重要性を 提案した。  「庄内式土器が東京湾沿岸地域に墳丘墓副葬品として登場しており、箸墓古墳出現前に 既に東国の一角が邪馬台国の領域内に含まれていた可能性がある」  また、「三角縁神獣鏡は既に指摘されているように舶載鏡とはみなしがたく、国産鏡と 考えざるを得ない」と述べた。 大塚先生 「文献史学」から見た邪馬台国 講師 安本美典 元産業能率大学教授・季刊『邪馬台国』編集長  「文献的年代論・世界の君主の時代別平均在位年代から推測すると1~4世紀の在位年数 は10年を超えていない。神武天皇は285年前後で5代前の天照大神は245年前後で卑弥 呼の年代と合う。実在の天皇、第21代雄略天皇から第50代桓武天皇までの平均在位年数は 10.95年である。それから推定すれば第10代の崇神天皇は4世紀半ば以降で纒向遺跡、箸墓 は同時代である。  また、炭素14測定法では土器付着炭化物はクルミ・桃核などより古く出る傾向(50~80年) があり、箸墓の桃核は80%以上の確率で4世紀を示しており、箸墓とホケノ山古墳は布留1式 期で4世紀の中ごろの築造」「年輪年代法で注意すべきことは伐採年代と再利用問題、特にヒノキ は耐久性が高く再利用がよく行われていた」とまた「鉛同位体比による古代青銅器の年代論・ 古代青銅器密集率」の画期的仮説を発表された。 安本先生

【第2部】 科学的年代論で解く邪馬台国

 「年輪年代法」と古代史 講師 光谷拓実 元京都大学客員教授・奈良文化財研究所客員研究員  「考古学における各種の調査研究の基本は、出土遺物、遺構の年代を決定することである。 遺物と共伴して木材の年代を特定する方法に「年輪年代法」があり測定年代に対して誤差がな く遺跡出土木材の年輪に歴年代を与えることができる。20世紀初頭にアメリカの天文学者, A.Eダグラスによって創始され、文字のない時代でも一年単位の年代が確定できる。  これまでの応用事例として特筆すべきものに滋賀県信楽町の宮町遺跡の柱根の伐採年が、 続日本紀の記述のとおり、743年で真の紫香楽宮は宮町遺跡であると指摘。また大阪府の 池上曽根遺跡の柱根の伐採年代が紀元前52年と判明、従来の年代観より100年古く出て 弥生時代~古墳時代の年代見直しの契機となった。また、奈良県の纒向石塚古墳はヒノキ材 から180年前後、勝山古墳は200年前後の伐採年代と推定。古墳時代を早めた。  しかし、出土木材の年輪年代と出土遺構、遺物への年代付けは、十分に注意し、最良の組 み合わせにおいてのみ,年輪年代の年代値そのものが評価される」と述べた。 光谷先生 「酸素同位体比を用いた新年輪年代法」と古代史 講師 中塚武 総合地球環境学研究所教授・名古屋大学客員教授  「木材年輪を用いた年代決定法は①年輪幅に基づく方法②放射性炭素(炭素14)に基づく方法、 の2つの方法だったが、画期的な酸素同位体比を用いた新しい年輪年代法を提案します。 これらの活用により  1.年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比の変動パターンは、相関が高く、従来の年輪幅だけ   を用いた年輪年代の決定精度と応用範囲を飛躍的に高める  2.日本各地で現在から縄文時代までの多数のヒノキやスギの年輪酸素同位体比を測定した結果さ   まざまな樹種の木材の年輪年代の決定に利用でき過去数千年間の標準変動曲線を作成した  3.年輪セルロース酸素同位体比の標準変動曲線は、当地の夏季降水量の変動を正確に記録しており、   さまざまな歴史学、考古学の記録と照合することにより、日本史の背景にあると思われる、人間   社会と気候変動の関わりについて解明できる」と力説した。 中塚先生 「炭素14年代法」と古代史 講師 中村俊夫 名古屋大学教授・金沢大学客員教授  加速器質量分析(AMS)は放射性炭素(C14)年代測定の分野に大革命をもたらした。 わすか数ミリグラムの炭素を用いて、短時間のうちに高精度の幅広い年代範囲の年代測定を可能にした。 今日では様々な貴重な考古学や古文化財試料に適用され高精度な推定に盛んに利用されている。しかし、 期待ばかりが大きく測定法の限界や問題点が理解されていない事も多い。  自然界で採取した試料には、不純物の付着も多い。それら汚染物質の洗浄が重要である。 名古屋大学に設置しされてあるタンデトロンAMS装置は試料から炭素成分が抽出されグラファイトに 変えられる。ごく少量の炭素試料で測定でき測定誤差が極めて少なく、短時間で測定できる。 琉球沖縄古衣装(絹織物)の年代測定、バーミアン仏像遺跡の東西仏像の年代のAMSによる炭素14年代 測定などに成果を上げた。  しかし、通常の測定では誤差は1標準偏差±20年である。また、考古遺跡の同一層から採取された 貝殻と木炭ではC年代が大きく異なる。ゆえにC14年代測定法は年代決定法ではなく、ある年代範囲は可 能性が高いと示すことが可能な年代推定法として捉えなくてはならない。 中村先生

「今後への期待と展望」

   鷲崎弘朋 全国邪馬台国連絡協議会会長             「今回の講演「科学的年代論」で登場した自然科学(理化学)に期待する。 これには「年輪年代法」「炭素14年代法」「酸素同位体比を用いた新年輪年代法」「鉛同位体比分析」などが あり今後はこの「自然科学」を「文献史学」「考古学」と並ぶ主役、すなわち三本柱の一つにとらえる必要 がある。そして、三本柱をトライアングルとして相互補完、相互チェックし総合的に検討することにより、 真の古代史解明が初めて可能になる。  具体的には ①纒向遺跡の桃核(桃の種)を炭素14年代法で測定 ②遺跡などからの出土木材を「年輪年代法」「炭素14年代法」「新年輪年代法」で同時測定 ③日中の出土古鏡の鉛同位体比分析  など専門家、研究機関、大学、当会が協力して実施していきたい」と述べた。 鷲崎会長 強風の中、10時から16時半と長時間の講演にかかわらず、全国から約400人の 古代史愛好家の皆様が最後まで熱心に聴講していただきました。 ご講演いただいた各先生、ご参加の皆様に厚く御礼申し上げます。
 2014年7月19日 第1回東京地区大会  平成26年7月19日(土)10:00~17:00、文化シャッターBXホール 【式次第】   第1部 基調講演    講師 仁藤敦史国立歴史民俗博物館教授      「邪馬台国」論の現状と課題-史料批判・東アジア・考古学の視角から-                 講師 安本美典元産業能率大学教授・季刊『邪馬台国』編集長      「邪馬台国九州説」数理歴史学の立場から           第2部「私の邪馬台国論」    金田弘之 『魏と呉の覇権争いからみた「女王国の争乱」』 若井正一 『邪馬台国吉備説・狗奴国大和説』 志村裕子 『先代旧事本紀』「国造本紀」にみる邪馬台国』     丸地三郎 『邪馬台国はどこにあったか?魏の使者は帆船で博多湾に!』 田中文也 『邪馬台国山陰説』 石井好  『纏向型前方後円墳は4世紀代の古墳』 まとめの質疑応答   第2部の「私の邪馬台国論」は当HPに詳細を掲載してあります。
 2013年11月2日 古代史(邪馬台国)サミットin高千穂 日時:平成25年11月2日(土) 場所:鳥取県湯梨浜町
全国邪馬台国連絡協議会準備委員会結成記念 大会開催の報告です。 <開催趣旨>  日本民族のルーツに迫る、最新の古代史論争古代日本の中心は、果たして「九州」か? 「畿内」か?「山陰」か?  近年、日本古代史をめぐる状況に大きな変化が生まれた。門脇禎二氏の畿内説から九州説 への転換や梅原猛氏の自説の撤回による出雲王朝実在論などである。 奇しくも古事記撰集 1300年を経て、2013年は出雲大社の遷宮と20年ぶりの伊勢神宮の遷宮が重なる年 となった。  人類社会世界200ヶ国地域の中で未だにその国の歴史が不明のままで分かっていないの は唯一日本の国だけである。この国の歴史の謎の解明は、今まさに国家的課題・民族的課題 となっている。また、日本中の古代史研究家を網羅する「全国邪馬台国連絡協議会」の設立 作業も始まっている。  この時期に邪馬台国論争の中心点を占める「九州説」、「畿内説」、「山陰説」の論考を 一堂に会し、ここに民族的・国家的課題への壮大な挑戦を行う。 準備委員 大会冒頭でステージに上がって紹介された準備委員。左より鷲崎、内野、河原、笛木 全国邪馬台国連絡協議会 設立準備委員長 鷲崎弘朋の挨拶  ただ今ご紹介をいただいた鷲崎でございます。 本日は、このように多くの皆様がお集まりいただき、また高島先生、岸本先生にもご出席い ただき、かくも盛大に古代史サミットが開催されましたことを心からお喜び申し上げます。  さて、これから「全国邪馬台国連絡協議会」の構想を簡単にご紹介させていただきます。 この連絡協議会は、来年春のスタートを目指しまして、現在、鋭意準備作業を進めておりま す。お手元の冊子にプロジェクトのイメージ図、設立趣旨などがございます。また、別配布 として組織図・役員名簿がございます。HPトップページのイメージ図をご覧下さい。  図のトップに「高い理念」と書いてございます。日本の古代史は多くの謎に包まれており ます。歴史と伝統を持つ多くの国の中で、これほど国家の成立や古代の歴史が知られていな い国は他にありません。古代史が国民的な関心を集め、多くの研究者が長年にわたり古代史 探究を行ってきましたが、未だにその解明を見ておりません。 その古代史解明の中核になっているのが「邪馬台国」であります。「邪馬台国の謎」の解明 こそが「古代史の謎」の解明につながります。こういった状況に鑑みまして、邪馬台国の解 明に熱意と関心を持つ団体と個人が集まりまして、全国ネットワークとしての「連絡協議会」 を設立し、新たな切り口から邪馬台国と古代史の解明を目指します。  このプロジェクトの主なテーマは、イメージ図の右側のように、①邪馬台国、②邪馬台国 前後、③年代論、④民族のアイデンティティ、の4つでございます。 それと同時に、図の左側にありますように全国を4地区に分け、地域おこしを兼ねて全国大 会と地区大会を開催致します。  また、専門家と在野研究家の英知を結集致します。高島先生にも特別顧問のご内諾をいた だきましたので、よろしくお願い致します。  私ども志を同じくする有志は、歴史に残る国民的プロジェクトを立ち上げ、邪馬台国と古 代史の解明に新たな道を切り開く決意でございます!  皆様におかれましては、このプロジェクトに絶大なご協力とご支援をお願い致しまして、 私のご挨拶とさせていただきます。どうか、よろしくお願い致します。 九州説 パネリスト 高島忠平 佐賀女子短期大学 理事長   吉野ヶ里遺跡発掘調査などに活躍 高島忠平  九州のどこであるかは明示しないで、魏志倭人伝に記述された30国に該当する弥生時代の 九州の集落遺跡を地図上にプロットして、解説。 他に全国の遺跡の分布、鉄器・漢式土器・銅鏡の分布から、弥生時代の国際的な集落は九州で あること、主な魏志倭人伝に記述されたような環濠集落は吉野ヶ里遺跡を始めとする北部九州 であること。日本列島の古代国家の成立を考えると邪馬台国が九州にあったほうが合理的であ る。 畿内説 パネリスト 岸本直文 大阪市立大学大学院 准教授  古墳時代を中心に研究 岸本直文  弥生時代後期は地域ブロックの時代であり、畿内では大阪府南部海岸線沿いと大和川を遡っ た奈良盆地が一体となった地域的なまとまりが考古学上考えられること。 畿内での鉄の出土は少ないが、石器が出なくなっていて、石器は金属器を磨く砥石だけ、とい ったように鉄器が使われた形跡があり、鉄器の現物が出ないから文化が劣っていたとはいえな い。弥生時代から古墳時代へ時代が進むにつれて漢式鏡の出土が多くなる。 最近のC14年代法などで纏向石塚古墳などの初期の前方後円墳が卑弥呼の墓である可能性が ある。 山陰説 パネリスト 田中文也 歴史学・考古学だけでなく、自然科学・民俗学・外国文献なども総合的に研究 田中文也  記紀・出雲風土記には縄文海進の記憶が残されている。例示すると、佐渡は「双子」に吉備 児島は「三つ子」に産んだ。これは縄文海進で今の海岸線を 20m上げた状態だと、佐渡は2つ の島に、吉備児島は三つの島になる。同様に出雲国引き神話も縄文海進から海面が下がって陸 地が広がった光景を表している。 山陰地方は熱帯地方の生物も寒帯地方の生物も生息できる、類まれな豊かな自然に恵まれた地 域である。その上、大陸・韓半島にも近い。 この様な地勢の上、天津神を祀る神社は山陰地方の山地に偏在している。製鉄を司る神々も山 陰地方に多い。天津神は山陰地方の山間部に住んでいたからではないか。 楽浪郡から邪馬台国への距離、帯方郡から邪馬台国への距離、狗邪韓国から邪馬台国への距離 を地図上にプロットして重ね合わせると重なる部分は島根県一帯である。 神武東征の大和への距離も日向から出発したのでは宇佐へは近すぎ、山陰から出発すると丁度 記紀の記述通りの距離となる。  青谷上地遺跡から、中国から渡来したと考えられる弩が出土している。同遺跡から飛鳥時代 の寺から出土するような連子窓が弥生時代に出土している。他、中国製の土笛も山陰地方を中 心に出土している。このように先進的な文物が山陰地方に多く出土するのは徐福が山陰地方に 上陸したからではないか。 これは国津神と呼ばれている大国主命と少彦名命は徐福が連れてきた童子が全国を回って先進 技術を教えた記憶ではないか。これら国津神は最終的に天下を天津神に譲った。 講演の後は3名の先生でパネルディスカッションを行いました パネルディスカッション 九州説と近畿説は議論ができましたが、高島・岸本両先生とも山陰説には戸惑っている様子で した。
日 時: 平成25年11月2日(土)  場所:鳥取県湯梨浜町 主 催: 山陰古代史研究会 後 援: 湯梨浜町、真庭市、新日本海新聞社、テレビせとうち、鳥取県経済同友会中部地区、  鳥取県中小企業青年会、今井印刷、梓書院、邪馬台国の会、邪馬台国を考える会、  渡来人研究会、九州の歴史と文化を楽しむ会、日留山歴史研究会、比婆山のロマン  を楽しむ会、八頭郷土歴史研究会、月詠会、全国邪馬台国連絡協議会設立準備委員会 この後、岸本・田中両先生(高島先生は所用)と有志で懇親会を開催しました。 翌日は田中先生と有志で邪馬台国山陰説実地見学ツアーを開催しました 方見神社 当日はあいにくの雨模様。良い写真がなく残念です。 邪馬台国山陰説で高天原と推定される蒜山から大山に至る山間部から平野部に天孫降臨したルー トと考えられる方見神社に参拝して伝承を拝聴 茅部神社 天照大神を祀る茅部神社。周辺には天孫を祭る神社が多い。 蒜山郷土博物館 蒜山郷土博物館を見学 岡山県真庭市の四つ塚古墳群の出土品を中心に展示してある。多くの武具・銅鏡・装身具・鉄器 ・馬具・埴輪などの豪華な副葬品がある。写真は13号墳の実物大の復元模型。 蒜山郷土博物館 高天原は陽当りがよく良く、韓半島に面している、という記述が記紀にある 写真中央の山腹の丘はこの記述通り、日の出から日没迄陽光に恵まれている景勝の地だという。 晴れていればここまで行けるが本日は雨のため資料館のパネルで我慢 青谷上寺地遺跡 弥生時代の遺跡の青谷上寺地遺跡展示館を見学 写真の連子窓は飛鳥時代の寺院のものではなく、弥生時代のもの。この様な見事な弥生時代の工 作物は山陰にしか見られない。木器・鉄器・馬具・処刑されたような人骨・他の地方の土器など の豊富な遺物が出土している。 青谷上寺地遺跡 見事な木製の高坏 出土した遺物は壊れていないものが多い。多分、壊れて捨てられたのではなく、使用中のものが 鉄砲水か何かで流されて埋まった・・・という感じ。 この後、空港迄送ってくれました。地元の皆さんに車で案内してくれて、手作りの心のこもった 山陰ツアーでした。        最終更新 平成30年9月12日