当会会員の『私の邪馬台国論』『私の古代史論』

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平成29年
『古代東国にやってきたのは出雲だった 』 たかみや しんじ『難民がつくった国「邪馬台国」4』 星野 盛久『古代は壹與に始まった 』 萩尾 学『倭国の大乱と邪馬台及び狗奴誕生 』 川上 郁夫『21世紀的魏志倭人伝考(前編)』 若松 博『継体天皇の二王朝並立説〈付記:隅田八幡神社所蔵「人物画像鏡」銘文の新解釈〉』 伊藤 雅文『欠史八代の天皇(綏靖天皇~開化天皇)は架空の天皇。それって本当?』 久保田 真光『魏使行程の検証』 白崎 勝『古事記に秘められた指令・・・唐王朝を再興せよ!』 西山 恒之『魏志倭人伝などの間違い、疑問点を考察する』 河野 俊章『4世紀の紀年論』 米田 喜彦『妃のいない大王』 大野 克浩『難民がつくった国「邪馬台国」その6―青銅祭器、鉄製武器、高地性集落―』 星野 盛久『祟神朝(大和)と景行朝(日向)は併存していた』 たかみや しんじ『戸数・家数から判る邪馬台国』 菊地 昌美『騎馬民族説の復活(改4)「扶余族に征服された邪馬臺国」』 槌田 鉄男『邪馬台国・日本(ひのもと)を占領征服した唐王朝』 西山 恒之『行程から読み解く魏志倭人伝その2』 吉田 薫『古事記と魏志倭人伝のリンク』 白崎 勝

平成28年
『邪馬台国へ至る二つの道』 河野 俊章『邪馬壹國は大分県東北部に在った ― 距離と方角を重視したアプローチ ―』 酒井 正士『倭国の始まりと終り』 福島 巖『邪馬台国と倭の五王』 林 ひろゆき『『武内宿禰』と『多遅摩氏』の系図解読について』 米田 喜彦『国譲りは関東で繰り広げられていた』 たかみやしんじ『文章構造と軍事戦略からみた「水行十日陸行一月」の経路』 金田 弘之  ●『難民がつくった国「邪馬台国」2』 星野 盛久  ●『桃核祭祀は吉備邪馬台国の卑弥呼の鬼道か』 岡 將男  ●『とうとう「邪馬台国」の謎は解明された』 西山 恒之  ●『邪馬台国の所在地について』 平松 全一  ●『古地図などの記載里数と大圏距離の対比について』 住谷 善愼  ●『騎馬民族説の復活「扶余族に征服された邪馬臺国」』 槌田 鉄男  ●『行程から読み解く魏志倭人伝と邪馬台国』 吉田 薫  ●『2世紀の天照大御神と3世紀の卑弥呼』 井手 將雪  ●『「周旋」の新解釈と畿内説の不成立』 伊藤 雅文  ●『邪馬台国の新視点 原ヤマト東三河・狗奴国駿河以東説』 前田 豊  ●『私(米田)にとって、系図解読とは何か・・系図から見えてくること・・』 米田 喜彦  ●『倭王・倭軍は大伽耶の人々』 福島 巖  ●『二つの天孫降臨は連動していた』 たかみやしんじ  ●『難民がつくった国「邪馬台国」』 星野 盛久  ●『反時計回り連続説』 兒玉 眞  ●『神と古代史との一考察』 村山 智浩  ●『『日本書紀による日本古代史の再構築』-春秋二倍暦仮説を基にして-』 牧村 健志

平成27年
 ●『騎馬民族説の復活『扶余族に征服された邪馬臺国』』 槌田 鉄男  ●『邪馬台国、その誕生と滅亡』 西山 恒之  ●『オノゴロ島祭祀=前方後円墳祭祀起源説』 淤能碁呂太郎  ●『倭国大乱と崇神擁立は同時進行していた』 たかみやしんじ  ●『私の古代史「卑弥呼とタケル」』 福島 巖  ●『魏志倭人伝の「道里」に関する新考察』 伊藤 雅文  ●『邪馬台国は日向国の一部だ』 河野俊章  ●『史料が示す『邪馬台国は大和国』』 菊地 昌美  ●『ふみ国経由 邪馬台国行き―「方位」「距離」「日数」の謎は解けた』 松尾 定行  ●『なぜ魏使は網野に上陸したのか?』 住谷 善愼  ●『加耶の変遷から見た倭国の統一』 米田 喜彦  ●『倭国は九州北部の小国三十国の連合国だった』 兒玉 眞  ●『狗奴国との戦は無かった!』 髙川 博  ●『邪馬台国と大和朝廷の誕生秘話 「騎馬民族説の復活」』 槌田 鉄男  ●『新説:出雲邪馬台国私考』 「出雲邪馬台国研究会」 代表 小林 攻一  ●『邪馬台国 新畿内説』 矢 野 寿 一  ●『陳寿の筆法と魏志倭人伝の謎の解明』 田中真生雄(たなかまきお)

平成26年
 ●『耶馬台国よ いずこへ』 柴田 克彦  ●『奈良盆地から発信する「邪馬台国九州説」』 飯田 眞理  ●『邪馬台国田原本説』 住谷 善愼  ●『纏向型前方後円墳は4世紀代の古墳』 石井 好  ●『邪馬台国山陰説』 田中 文也  ●『邪馬台国はどこにあったか?魏の使者は帆船で博多湾に!』 丸地 三郎  ●『先代旧事本紀』「国造本紀」にみる邪馬台国』 志村 裕子  ●『邪馬台国吉備説・狗奴国大和説』 若井 正一  ●『魏と呉の覇権争いからみた「女王国の争乱」』 金田 弘之  ●『邪馬台国は韓半島高霊』 福島 巖  ●『邪馬台国「出雲説」概論』 西山 恒之  ●『陳寿の記した道里』 伊藤 雅文  ●『系図解読マニアの系図解読から見えてくる『邪馬台国』』 米田喜彦  ●『伊都国・邪馬台国 両国論』安彦 建夫  ●『邪馬台国と卑彌呼の風景(畿内説)』 水谷 敏行  ●『神武東征における邪馬台国』 白崎 勝


『古代東国にやってきたのは出雲だった』  たかみや しんじ (会員番号10206) 縄文時代から弥生時代に形成されていた「翡翠ロード」や「黒曜石の道」は、又、出雲から弥生文化が運ばれてきたルートでもあった。 そのような中で、諏訪神社が果たした役割について検討してみた。    平成29年10月5日
『難民がつくった国「邪馬台国」4 』  星野 盛久 (会員番号10217)  ライフワークとしてまとめている論文の第4回目の応募です。 今回の内容は倭人伝をどう読めばよいかという点に焦点を当てた部分です。「倭国乱」については「後漢書」が「倭人伝」を読み間違った。 卑弥呼は魏の将軍司馬懿の都合で倭王になり、魏の都合で殺された。倭人伝の人口や距離の数値はなぜ誇大になったのか。 以上のような点について私の考えをまとめました。ご批判をいただければありがたいと思います。    平成29年10月2日
『古代は壹與に始まった』  萩尾 学 (会員番号10342) ごりごりの九州説である私は、邪馬壹國のある九州が何故卑弥呼時代から衰退し畿内が急速に発展して行くのか、 その答えを持っていなかった。ある日、卑弥呼と壹与の間に深い断絶を感じた。すると歴史が繋がりはじめた。 http://sisoou.web.fc2.com/    平成29年10月1日
『倭国の大乱と邪馬台及び狗奴誕生 )』  川上 郁夫 (会員番号10338) 邪馬台国については多くの方が文献及び遺跡の調査研究を行い、成果を出しているところです。 その成果にわずかの想像を加えて、古代史の流れをすっきりと整理してみました。    平成29年9月27日
『21世紀的魏志倭人伝考(前編)』  若松 博 (会員番号10335) 筆者は、普段からインターネットを多用することが多い。その筆者が『魏志倭人伝』の世界にとり憑かれて15年。 得意のインターネット検索を駆使して収集した情報・書籍を総合的に解析し、21世紀の「邪馬台国論」を展開する。    平成29年9月20日
『継体天皇の二王朝並立説〈付記:隅田八幡神社所蔵「人物画像鏡」銘文の新解釈〉』  伊藤 雅文 (会員番号10126) 『日本書紀』の記述から、継体天皇朝と仁賢天皇・武烈天皇朝が並立した可能性を探った。 古代天皇の実年代探求における「六世紀初頭」を考える。    平成29年9月18日
『欠史八代の天皇(綏靖天皇~開化天皇)は架空の天皇。それって本当?』  久保田 真光 (会員番号10287)  確かに、彼らの寿命や在位年数などをみると、信じられないが、それ以外の系譜や、宮や陵の所在地、妃の出身地などは、 後世の作り話にしては、偏り過ぎている。    平成29年9月16日
『魏使行程の検証』  白崎 勝 (会員番号10056)  本文は、魏志倭人伝が記す邪馬台国に至る行程を、夏至の日の出方角を東とした基準と、「周碑算経」に記録された千里の距離基準で、 これまで有力比定地とされたクニ位置について、検証したものです。    平成29年9月14日
『古事記に秘められた指令・・・唐王朝を再興せよ!』  西山 恒之 (会員番号10020)  古事記には、この列島の中枢を支配する唐王朝の残党勢力に、「再び大陸に支配者として舞い戻り、唐王朝を再興せよ。 そのためには、日本人を徹底的に騙して利用せよ」と伝え残されていました。 http://kodai21-s.sakura.ne.jp/to-m.htmlp/    平成29年8月21日
『魏志倭人伝などの間違い、疑問点を考察する』  河野 俊章 (会員番号10083)  残念ながら誰の説か記憶にないが、「{陸行一月}は変だ。{陸行一日}ではないか」と言う指摘を見て感心したことがある。 魏志が間違っているのかも知れない、考古学が間違っているのかもしれない。 ともかく間違いらしき所を修正しながら考察しながらやってみよう。    平成29年6月20日
『4世紀の紀年論』  米田 喜彦 (会員番号10066)  前回発表した「『武内宿禰』と『多遅摩氏』の系図解読について」を、 (細かい修正をしつつ、)発展させて、4世紀の年表まで作りました。    平成29年5月6日
『妃のいない大王』  大野 克浩 (会員番号10318)  卑弥呼について、数年前から、なぜこの人物が卑弥呼候補になっていないのか、ずっと疑問でありました。 時代も合致し、女王にふさわしい地位の人物です。 私は素人ですが、今回、思い切って発表したいと思います。    平成29年5月4日
『難民がつくった国「邪馬台国」その6―青銅祭器、鉄製武器、高地性集落―』  星野 盛久 (会員番号10217)  邪馬台国は九州の筑後川流域にあったと考えています。 できるだけ客観的な論議ができるようにしたいので考古学の成果を踏まえ 弥生時代とはどういう時代だったのかを全体像としてとらえ邪馬台国に迫りたいと考えています。 論文は約10万字になりますので5回に分けて応募するつもりです。今回はその3回目です。    平成29年4月7日
『祟神朝(大和)と景行朝(日向)は併存していた』  たかみや しんじ (会員番号10206)  本欄の小稿(「倭国大乱と祟神擁立は同時進行していた」)の続編。 記紀では繋がっていたように記述される祟神朝と景行朝であるが、 大和では祟神朝が日向では景行朝が併存していたことの論証を試みた。    平成29年4月5日
『戸数・家数から判る邪馬台国』  菊地 昌美 (会員番号10197)  魏志倭人伝の戸数・家数の記述から、邪馬台国当時の人口と、どこにあったのかを推測しました。 史料に書いてあることを根拠に、推測しましたものです。一読してください。 ご意見などお待ちしています。    平成29年3月10日
『騎馬民族説の復活(改4)「扶余族に征服された邪馬臺国」』  槌田 鉄男 (会員番号10094)  馬を忌み嫌っている邪馬臺国、馬に対している対馬国、馬を投げる投馬国。 女王国は馬に悩まされ邪馬臺国では4つの官の中で3つを馬担当にしました。 『騎馬民族説の復活』4回目です。完成度も上がり必読です。    平成29年2月26日
『邪馬台国・日本(ひのもと)を占領征服した唐王朝』  西山 恒之 (会員番号10020)  邪馬台国、そしてこの日本は、663年秋、唐王朝によって占領征服されていました。 その支配関係は変わることなく今に至っています。今回は、その経過が記された資治通鑑を検証します。 みんなで古代史を考える会http://kodai21-s.sakura.ne.jp/    平成29年2月18日
『行程から読み解く魏志倭人伝その2』  吉田 薫 (会員番号10270)  前稿において、短里説を採用し、邪馬台国や投馬国などへの行程を示した。 引き続き取り残していた課題を検討した結果、倭種の国を経由して、無理なく侏儒国、裸国・黒歯国に行き着くことができた。    平成29年1月18日
『古事記と魏志倭人伝のリンク』  白崎 勝 (会員番号10056)  伊邪那岐と伊邪那美は、神々の命を受け、「国生み」に向かった。 これが古事記が記す、日本の歴史の始まりである。 この二人の名が、魏志倭人伝に登場するクニの名から、一文字ずつ採った名であることを発見した。    平成29年1月1日
『邪馬台国へ至る二つの道』  河野 俊章 (会員番号10083)  世に多くの邪馬台国論があるが、率直に言うと「読む気にならない」のである。 それは逆の立場で考えると、私が書いた論も「読んでもらえない」、ということになる。  以下の論はわずか6ページほどの短いものである。ぜひ読んで頂きたい。詳しい説明はすべてリンクで行っている。    平成28年12月20日
『邪馬壹國は大分県東北部に在った ― 距離と方角を重視したアプローチ ―』  酒井 正士 (会員番号10299) 私は歴史に関しては全くの素人で、邪馬台国についても幾つかの書籍を斜め読みした程度ですが、 自然科学の研究を通じて培った論証方法に基づき、邪馬台国の所在地について解明したいと考えています。    平成28年12月8日
『倭国の始まりと終り』  福島 巖 (会員番号10063) 「倭国は金海に降臨した首露王の伽耶国から始まる。 その首露王が天照大神であることを明らかにした。 金官伽耶の最後の仇衡王が欽明天皇として乗り込んできた。 この時から日本が正式の倭国になった。」    平成28年11月11日
『邪馬台国と倭の五王』  林 ひろゆき (会員番号10265)  邪馬台国と倭の五王が日本の歴史より消えたのは、記紀により意図的に隠されたものと考えます。 どのように隠されたか、私なりの仮説で、古代天皇の系譜を作成しました。    平成28年11月8日
『『武内宿禰』と『多遅摩氏』の系図解読について』  米田 喜彦 (会員番号10066)  私は、「系図解読マニア」です。 (干支の解読から)4世紀が解読出来れば、おのずから『武内宿禰』や『多遅摩氏』が解読できるだろう。 ということで、これらの考察が最後にはどう絡んでくるか、お楽しみ下さい。    平成28年11月1日
『国譲りは関東で繰り広げられていた』  たかみやしんじ (会員番号10206)  記紀で著わされる「国譲り」は出雲国において展開されるが、その頃出雲には未だオオクニヌシはいなかった。 史実は、関東で展開された出雲系と日向系の覇権争いだった。    平成28年10月5日
『文章構造と軍事戦略からみた「水行十日陸行一月」の経路』  金田 弘之 (会員番号10033)  「水行十日陸行一月(日程)」は伊都国起点説が大勢ですが各説とも修正が必要です。 私見は、文章構造と軍事戦略から「日程⇒帯方郡~邪馬台国。経路⇒韓諸国陸行。倭国俯瞰⇒魏軍の派遣」であることを明らかにします。    平成28年10月4日
『難民がつくった国「邪馬台国」2』  星野 盛久 (会員番号10217)  4月に応募した同名の論文の続きです。 考古学や、文化人類学などの知見をベースに弥生時代を俯瞰し、邪馬台国の位置比定、魏志倭人伝の新解釈により 邪馬台国筑後説を唱えます。         論文全体は10万字になりますので、5回に分けて応募しています。 今回はその第2回です。    平成28年10月2日
『桃核祭祀は吉備邪馬台国の卑弥呼の鬼道か』  岡 將男 (会員番号10016)  岡山県倉敷市の楯築遺跡南にある上東遺跡波止場状遺構から、1998年に9608個の桃核が出土していた。 桃核祭祀は特殊器台や弧帯文の祭祀と同様に、吉備邪馬台国時代の卑弥呼の鬼道を構成する要素だと考える。 纏向遺跡の桃核は東遷した臺與のものであろう。    平成28年9月18日
『とうとう「邪馬台国」の謎は解明された』  西山 恒之 (会員番号10020)  我が国の古代における大きな歴史的拠点であった出雲の地こそが、古代の都「やまと」であり「邪馬台国」でした。 今回は、中国に残されている史書を検証しました。       みんなで古代史を考える会 http://kodai21-s.sakura.ne.jp/t-m.html    平成28年8月16日
『邪馬台国の所在地について』  平松 全一 (会員番号10273)  先月入会させていただいた平松(会員ID番号10273)と申します。 自分では、12,000里の距離の違いを地図で一目瞭然にしたことと、日数の短縮に関する考え方がユニークだと思っています。    平成28年8月10日
『古地図などの記載里数と大圏距離の対比について』  住谷 善愼 (会員番号10112)  本稿では古地図などに航路里数(=古代値)と現代の大圏距離数(=現代値)を対比して誤差的評価を行った。 結果、評価に大きなバラツキがあり航路里数から現代の換算kmを算出しても使えないことがわかる。 つまり、単純に古代値=現代値と置いて、邪馬台国の所在を立論するのは無理筋といえる。    平成28年8月3日
『騎馬民族説の復活「扶余族に征服された邪馬臺国」』  槌田 鉄男 (会員番号 10094)  弥生末から古墳時代への変化は明治維新に匹敵します。 この変化は『3世紀に騎馬民族が来た』事によると言う仮説を立て、その証明を行いました。 また三角縁神獣鏡発生の解明も加え、自説を大幅にリニューアルしました。    平成28年7月25日
『行程から読み解く魏志倭人伝と邪馬台国』  吉田 薫 (会員番号10270)  あらかじめ水行及び陸行の日速度を推定し、そこから行程及び各国の位置の解読を試みたところ、 原文の行程が無理なく解釈でき、かつ既知の見解や伝承とつながりのある姿が浮かび上がってきた。    平成28年7月13日
『2世紀の天照大御神と3世紀の卑弥呼』  井手 將雪 (会員番号10160)  『魏志』倭人伝に記録されている【伊都国に世々王有】の記録と、『古事記』に記録されている【天孫降臨】の記録が、 伊都国に実在した遺跡と遺物によって実証できました。 そして、その後の歴史の記録を『古事記』と『日本書紀』を詳細に検索した結果で、結論を出しました。    平成28年7月8日
『「周旋」の新解釈と畿内説の不成立』  伊藤 雅文 (会員番号10126)  『魏志倭人伝』中の「周旋可五千余里」は、旧来から「(倭国の)周囲は五千余里ばかり」と訳されているが、 この訳は果たして正しいのかを検証し、そこから何がみえてくるかを考察する。    平成28年6月6日
『邪馬台国の新視点 原ヤマト東三河・狗奴国駿河以東説』  前田 豊 (会員番号10135)  邪馬台国比定地は日本全国に146以上あるが、本論は弥生遺跡が多く、 銅鐸、甕棺墓の大量出土地である東三河を原ヤマト(邪馬台国)と仮説提唱する。 一方、狗奴国・駿河説と組合せて所在地を誘導する新説を紹介する。    平成28年5月21日
『私(米田)にとって、系図解読とは何か・・系図から見えてくること・・々』  米田 喜彦 (会員番号10066)  系図に関連して、下記のように考察をしました。  (1):独自に見つけた系図解読の方法。  (2):「国譲り」の系図パターンから見えてくること。  (3):「中臣氏」の系図から分かること。    平成28年5月12日
『倭王・倭軍は大伽耶の人々』  福島 巖 (会員番号10063)  倭国本体は古くは朝鮮にあり倭王も軍隊もそこに住んでいた人々のこと。 日本が住み易い場所であることが分かった6世紀以降には倭人が大挙して日本に移住した。 その結果任那が無くなり本家は日本に移った。   平成28年4月15日
『二つの天孫降臨は連動していた』  たかみやしんじ (会員番号10206) 「宋史」などを手がかりにして、記紀の神代記の一部史実復元を試みた。 そして、二つの天孫降臨を分析する中で、神武天皇誕生の史実復元にも迫ってみた。   平成28年4月5日
『難民がつくった国「邪馬台国」』  星野 盛久 (会員番号10217) 最近、根拠もなく近畿説が新聞で取り上げられ、なんとなく近畿説が有利であるかのような雰囲気が醸成されつつあることは不本意でなりません。 そこで、数年前に一度まとめた私の邪馬台国論「難民がつくった国『倭国』」に加筆し、 新しく「難民がつくった国『邪馬台国』」(九州説)としてまとめなおしました。 長文なので分割して投稿します。今回は第1回です。   平成28年4月4日
『反時計回り連続説』  兒玉 眞 (会員番号10172)  反時計回り連続説によると蘇奴国の次は筑後山門となりますが、筑後山門=邪馬台国は既述なので簡略化に拘る陳寿により省略されているようです。 ココさえ省略しなければ所謂邪馬台国論争は起きなかったはずですがね。 平成28年3月6日
『神と古代史との一考察』  村山 智浩 (会員番号10130) WEB投稿初めていたします村山と申します。 記紀にありがちな歴史と神話を分ける分岐点を求めるという視点では無く、神話が創られた頃の視点に立ったつもりになり論を立ててみました。 よろしくお願いします。 平成28年2月22日
『『日本書紀による日本古代史の再構築』-春秋二倍暦仮説を基にして-』  牧村 健志 (会員番号10215) 現在の古代史学会では日本書紀は参考資料程度の扱いである。 しかし一見荒唐無稽な書紀の紀年は、春秋二倍暦仮説によって修正すると考古学の成果と見事に一致する。 この事実を基に日本の建国の実像を改めて構築する。 平成28年1月1日
『騎馬民族説の復活『扶余族に征服された邪馬臺国』』  槌田 鉄男 (会員番号10094) 2月に投稿した『邪馬臺国と大和朝廷の誕生秘話「騎馬民族説の復活」』を見直 し、矛盾点、補強点を探し分かりやすくしたつもりです。是非一読願います。 平成27年12月5日
『邪馬台国、その誕生と滅亡』  西山 恒之 (会員番号10020) 前回、邪馬台国「出雲説」のあらましを述べさせていただきましたが、今回は、 邪馬台国に至るそれまでの歴史をさかのぼり、また邪馬台国はどうなったのかと いったところを、大陸と我が国に残されている歴史的資料を比較しながら検証し てみたいと思います。 みんなで古代史を考える会http://kodai21-s.sakura.ne.jp/ 平成27年11月15日
『オノゴロ島祭祀=前方後円墳祭祀起源説』 淤能碁呂太郎(おのごろたろう) (会員番号10216) 考古学的にノーマークの玄界灘「小呂島」。筆者は小呂島こそ伝説のオノゴロ島であり、 前方後円墳のモデルとなった可能性を見出した。渡来人による玄界灘 制圧史が「国生み神話」の原像だった。 淤能碁呂太郎のサイトhttp://onogorotarou0416.wix.com/one-page-layout-new 平成27年11月5日
『倭国大乱と崇神擁立は同時進行していた』 たかみやしんじ (会員番号10206) 邪馬台国は徐福一行が渡来して築いた日向国であった。狗奴国は新 羅系の渡来が築いた出雲国であった。倭国大乱は中国・朝鮮との交 易権確保を巡る日向と出雲の戦いであったが、両国の戦いは大和朝廷 においても同時に繰り広げられていた。 平成27年10月5日
『私の古代史「卑弥呼とタケル」』 福島 巖 (会員番号10063) ツヌガアラシトが鉄の交易のために来日した。近畿への道を通すのに丹波の国を開発した。 その6世孫がタケル・仲哀天皇で古代日本の王朝を作り上げた立役者だった。箸墓が作ら れた事情も解明。  平成27年10月1日
『魏志倭人伝の「道里」に関する新考察』 伊藤 雅文 (会員番号10126) 最も安易に見える解決法が、最も真実に近いかもしれないという新考察です。 邪馬台国論争の前提条件となっている「道里」に注目して、行程記述を問いなおします。 ※本稿は2014年6月投稿「陳寿の記した道里」を発展させた増補改訂版です。  平成27年9月15日
『邪馬台国は日向国の一部だ』 河野俊章 (会員番号10083)  邪馬台国は大和朝廷の前身(隋書、北史)→ つまり邪馬台国は天皇支配の国→  しかし奈良にあった邪馬台国は、魏志に書いてある邪馬台国ではない→ 邪馬台 国の引っ越し=神武東征は歴史上必然の事業であった→ 魏志に書かれている邪 馬台国は「天皇家のふるさと」と同じである→ それは日向である→ ただし私は 古くはヒムカとれていた日向の一部、旧大隅国と思う→ その地は容認誤差内で魏志倭人伝に一致する 平成27年7月25日 「予言 大隅邪馬台国」全文のホームページ
『史料が示す『邪馬台国は大和国』』 菊地 昌美 (会員番号10197)  邪馬台国に関する根本史料は、『魏志倭人伝』だけではありません。『後漢書 東夷伝』『新羅本紀』『魏志韓伝』『後漢書韓伝』『宋書倭国伝』などもありま す。これらの史料の価値を良く検討すると、『邪馬台国は大和国』になります。 平成27年7月20日
『ふみ国経由 邪馬台国行き―「方位」「距離」「日数」の謎は解けた』 松尾 定行 (会員番号10198) 結論だけ手短に述べている論です。 平成27年7月10日
『なぜ魏使は網野に上陸したのか?』 住谷 善愼 (会員番号10112)  本稿で西暦240年来倭の魏使一行が日本海沿岸ルートであれば、どこに上陸 すれば最適なのかについて述べる。なお、動線は投馬国から水行10日でどこか に上陸し、さらに、陸行1月で其余旁国21国を順次経由し、邪馬台国まで行程 したとする。この動線を基本に水行と陸行の組合せ(モーダルシフト)を3種類 の地形モデルに適用し、丹後半島の網野が敦賀などに比較して地理的に最適な上 陸地点であることを見出した。 平成27年6月30日
『加耶の変遷から見た倭国の統一』 米田 喜彦 (会員番号10066)  加耶連合国家の誕生は、高句麗の五族そのもの(高句麗の南下)であった。 その中で、近畿・出雲・北部九州なども、加耶連合国家に組み込まれていった。 弥生時代は、近畿と九州は、交流があまり無かったが、加耶連合国家の誕生により (異父同母兄弟姉妹が多いため)同姓不婚の中で、支配層の婚姻による 交流が一気に盛んになった。男系の同族による後継者争いと、卑弥呼を含めた、 何人もの世主の女系断絶の中で、近畿や九州は、しだいに(男女双系の中で) 交流が深くなり、248年の後、世主を『台与』に統一することで (統一)倭国が誕生した。 平成27年6月25日
『倭国は九州北部の小国三十国の連合国だった』 兒玉 眞 (会員番号10172)  『魏志倭人伝』には女王国北の21ヶ国が連続して記されているが、過去にこの21ヶ国の比定に 成功した例はない。だが私は独自の「反時計回り連続説」を用い、史上初めて21ヶ国のほぼ全て を比定することが出来た。 平成27年5月6日
『狗奴国との戦は無かった!』 髙川 博 (会員番号10034)  外交と軍事の観点から魏志倭人伝その他の文献を読み解き、さらに考古学上の知見との整合性 を併せ考えたところ、邪馬台国連合と狗奴国の抗争の実体は存在しないという結論に達した。 これは卑弥呼政権が魏からの韓半島出兵要請をかわすために仕組んだ口実であり、国際戦略その ものであった。 平成27年3月6日
『邪馬台国と大和朝廷の誕生秘話 「騎馬民族説の復活」』 槌田 鉄男 (会員番号10094)  従来の近畿説、九州説いずれも私にはしっくり来ません。若い頃から興味のあった騎馬民族説 をベースに、今、考古学で事実とされている事から文献を読み直し、論理的に仮説を組立て大胆 なストーリーを作ってみました。 平成27年2月16日
『新説:出雲邪馬台国私考』 「出雲邪馬台国研究会」 代表 小林 攻一 (会員番号10017) 古代日本史の真実を解明するには古代中国史書の「後漢書」「三国志」「隋書」「翰苑」に 登場する”邪馬臺國”を比定することである。 平成27年2月16日
『邪馬台国 新畿内説』 矢 野 寿 一 (会員番号10082) 水行の起点からは放射式に、陸行の起点からは連続式に」という新しい仮説を提起している ユニークな論です。 平成27年1月28日
『陳寿の筆法と魏志倭人伝の謎の解明』 田中真生雄(たなかまきお) (会員番号10132) 普通、セットで考える「陸行一月」・「水行十日」を別々に考えている新しさを感じました。 邪馬壹国は、北九州、邪馬台国は、近畿の双方であるという  ユニークな論です。 平成27年1月20日
『耶馬台国よ いずこへ』 柴田 克彦 (会員番号10117) 皆さんは、耶馬台国や卑弥呼のことを語られ、また話題によくされますが、その後の耶馬台国について語られ ることが少ない。そこでこのタイトルに挑戦しました。闇の中から行灯を照らして少しでも見通せればと思い、 フリーの立場から、卑弥呼以後の耶馬台国が如何なることになったかを推論しました。 平成26年12月28日
『奈良盆地から発信する「邪馬台国九州説」』 飯田 眞理 (会員番号10108) 私は故郷奈良を愛するがゆえに、国・学者・マスコミ一体となった邪馬台国奈良説誘導に抗 して、日本の古代の真実を明らかにしたいのです。 平成26年10月27日
『邪馬台国田原本説』 住谷 善愼 (会員番号10112) 本稿では理工系の観点からいわゆる短里説や「一寸千里の法」が成立しないことを述べる。そして、 邪馬台国所在を求める究極の漢字は『魏志倭人伝』中の「或」と「次」の2文字とする。結果、 田原本(奈良県)の唐古・鍵遺跡を邪馬台国と比定する。 平成26年10月27日
『纏向型前方後円墳は4世紀代の古墳』 石井 好 (会員番号10039) 第1回東京地区大会で口頭発表した資料をweb発表としたものです。 考古学の成果でも解釈によっては邪馬台国大和説を否定できる・・・という論です。 平成26年7月19日
『邪馬台国山陰説』 田中 文也 (会員番号10003) 第1回東京地区大会で口頭発表した資料をweb発表としたものです。 邪馬台国論・・というよりは日本古代史を根底から考え直す壮大なスケールの論です。 平成26年7月19日
『邪馬台国はどこにあったか?魏の使者は帆船で博多湾に!』 丸地 三郎 (会員番号10038) 第1回東京地区大会で口頭発表した資料をweb発表としたものです。 当時の船舶の様子が論じられています。 平成26年7月19日
『先代旧事本紀』「国造本紀」にみる邪馬台国』 志村 裕子 (会員番号10040) 第1回東京地区大会で口頭発表した資料をweb発表としたものです。 先代旧事本紀・「国造本紀」は魏志倭人伝と無関係のようにみえますが・・・ 平成26年7月19日
『邪馬台国吉備説・狗奴国大和説』 若井 正一 (会員番号10024) 第1回東京地区大会で口頭発表した資料をweb発表としたものです。 題名通り、吉備説です。日本書紀の記述にも配慮されています。 平成26年7月19日
『魏と呉の覇権争いからみた「女王国の争乱」』 金田 弘之 (会員番号10033) 第1回東京地区大会で口頭発表した資料をweb発表としたものです。 魏と呉という当時の国際情勢を分析した論です。 平成26年7月19日
『邪馬台国は韓半島高霊』 福島 巖 (会員番号10063) 魏志倭人伝の行程解明に成功、卑弥呼の陵墓を確定した。邪馬台国は日本の事でなく倭国本体の できごと。邪馬台国は高霊の地にありこの国は後の大伽耶に発展する。日本の正しい古代史を 構築しよう! 平成26年7月2日
『邪馬台国「出雲説」概論』 西山 恒之 (会員番号10020) 『大和には 群山あれど 取りよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ  海原は 鴎立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は』(巻1-2)  この歌は、時の大王が、当時の都だった奈良大和にある香具山に登って詠んだとされています。  ところが、奈良盆地には、海もなければ「あきづ島」、つまりトンボのような形状の島など何処 にも存在しません。 平成26年7月1日
『陳寿の記した道里』 伊藤 雅文 (会員番号10126) 陳寿は『魏志倭人伝』の中に邪馬台国への明確な道里を記していた。それがなぜ「邪馬台国論争」 の原因となるあいまいな記述になったのかを探る。本稿の詳細は2014年7月中旬出版予定です。 平成26年6月30日
『系図解読マニアの系図解読から見えてくる『邪馬台国』』 米田喜彦 (会員番号10066) 「邪馬台国」は、九州北部のどこかである。「卑弥呼」は、独身で、子どもはいない。 私の作った系図には、『三国史記』の王の名前も出てきます。 それは、日本の皇族の先祖は、夫余の出身だからです。 平成26年6月19日
『伊都国・邪馬台国 両国論』 安彦 建夫 (会員番号10081) 若い頃から探偵小説を読んできました。特にエラリー・クイーンから新本格派の作品は、表面上は 不可解で不可能な事件が起こりますが、基本的には常識が支配する世界を書いたものです。倭人 伝もその延長で読みました。 平成26年6月15日
『邪馬台国と卑彌呼の風景(畿内説)』 水谷 敏行 (会員番号10084) 本内容は、拙HP「素直に読み解く日本古代史」http://wvgr.web.fc2.com/  の要旨になります。浅い考察ではありますが、もし興味を持って下さる方がおられればHPも合せ参照願います。 尚、紙数制限から参考文献の説明不十分につき、ご了解賜りたく。 平成26年6月23日
『神武東征における邪馬台国』 白崎 勝 (会員番号10056) 白崎 勝 建国の過程が山の名に記録されていた。だれもが一度は同名の山が多くある不思議を感じたことだろう。この同名の山が 新しい情報となり、邪馬台国問題を解決できるかも知れない。古代人の英知に感謝したい。記録されていた山は高取山・ 鷹取山など同名の「タカ型山」と、高尾山・高倉山の「高」の一字を変えた○尾山・○倉山の同種の山だった。きっかけ は神奈川県に多く見つかる高取山・鷹取山は対で、日本武尊東征の足跡と仮定したことに始まる。  平成26年6月1日